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彦坂 朝子

彦坂 朝子(ひこさか あさこ)

【プロフィール】プロフィール詳細PDF
〈略歴〉
愛知県在住 昭和34年生まれ。中学卒業後、名古屋医師会准看護婦学校(昭和52年3月卒業)、定時制高校を経て、昭和57年4月名古屋市立大学看護学校入学〜60年3月卒業し、正看護師資格取得。卒業後、名古屋市立大学病院に4年間勤務(ICU)。その後昭和62年4月国立名古屋病院付属看護助産学校助産科に進学し〜63年3月卒業、助産師資格取得。卒業後、助産師として24年間にわたり、愛知県知多市民病院や県内産婦人科医院に勤務。医療従事者と患者という両面から命、医療、福祉などをテーマに講演活動を行う。
〈病歴〉―乳がん・子宮体がん―
助産師として勤務していた2003年、43歳の時に乳ガンと診断され、手術・抗がん剤治療とホルモン剤による治療を5年間施行。この間、手術後は退院翌日から職場復帰し、夜勤もこなす。その後、順調に経過するも、乳ガン発病8年後の今年1月に、子宮体がん(病理診断:肉腫)と診断され、手術を受ける。 2ヶ月休職し再び職場復帰。後の検査でリンパ節の腫れが5〜6ヵ所認められたため、職場を退職し、療養。11月の検査では、リンパ節の異常はなくなっており、現在治療は行わず、定期検診で経過観察中。


 ///// 講演テーマ /////

○二度のがんを乗り越えて
○現場、助産師が語る「誕生の瞬間」より 〜生命の神秘と生きる意味〜
○“いのち”を考える    〜消えゆく生命と誕生する生命から〜
○私が“がん”になったとき 〜乳がん・子宮体がんを経験して〜
○患者に望まれる看護とは  〜医療従事者と患者の立場から〜
○マイナスをプラスにする  〜難病、障害は神様からのプレゼント〜
○心を変えれば体が変わる  〜笑顔が一番の特効薬〜

≪関連情報≫

彦坂朝子
ドキュメント
記事

 幼い頃、難病・筋ジストロフィーにかかった兄と弟の食事、トイレ、風呂などの生活介助をした経験が、看護師を目指した原点だ。10代で准看護師として働いた最初の職場は老人病院。「死を待つだけじゃなく、もっと自分らしくあってほしい」と悩んだ。正看護師となり、大学病院に勤務。ふたたび死と隣り合わせの職場・ICU(集中治療室)に配属された。
 ICUでは、患者さんの死を悲しんでいる時間も考える時間もない「もう少し人間らしい自然の死があってもいいはず……」と4年で退職。生と死、生きる意味の答えを求め、人生の再出発に時間をかけた。「マザーテレサのことを考えていると、ふっと『命が生まれてくるところにかかわりたい』」と、いのちの誕生について深く考えるようになり、インド行きを熱望。いよいよ渡航、という段階で緊急手術のため断念。悶々としたが、生命の誕生に尽力したいと助産師の資格を取得。以後、助産師としての職についた。出産を終えた人から「ありがとう」という言葉に「天職につけた」と喜びをかみしめた。
 誰よりも生と死に敏感だった。にもかかわらず「まさか自分が……」との思いが発見を遅らせた。自身の乳がん発症を知ったのは43歳の時。ショックだったが「はじめて患者さんの気持ちがわかった」と、あくまで前向きに治療に取り組んだ。退院後、すぐに職場に復帰。出産という「祝いの場面」に「“がん”という言葉は似合わない」とあくまで自身の病気を隠した。「かつらがずれないか、それが一番心配でした」との苦労がある。以来、助産師として「患者に寄り添う出産を」をモットーに、励ましと安心を妊婦に与え、信頼される助産師として活躍。 発病から8年。再発の危険ナシ、と安心した矢先、ふたたび異変を感じ「子宮体がん」の宣告を受けた。2011年1月手術、2ヶ月後には、ふたたび「助産師として生命の誕生にかかわりたい」と復職。その後、ふたたびリンパ節の腫がみとめられたため、退職。良性につき、現在、経過観察中。「がんと宣告されて一番最初にやったのが『身の回りの整理』。もうダメかな、と何度も思った。でも、生きている自分の役割とは何か、を考え、ショックから立ち直って。何よりも命の誕生って素晴らしい。命がある限り現場に立ち続けたい」と同時に、「命とは何か?」「人間とは?」など、独自の死生観から生命の大切さ、生きる意味などを語りたい、と意欲を見せる。

 

 

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